T-05



そっか、この式はこういう意味だったんだ。
声は出さずとも、さっき総悟先生が作ってくれた解説と問題集の解説を照らし合わせながら、うんうんと1人納得する。

「その答えで全部納得したかィ?」

後ろを振り返ると、こちらの机の上を覗くように総悟先生が立っていた。まだ全部は読んでないので、残りの部分も納得できるかはわからない。うーん、と声を出しながら眺めていると、ちょうど次の行の式がわからなかった。

「この式って、ここは『島』なのにどうしてこの時は保存則の式を立てないんですか?・・・・・・・スイッチを入れて放電したから・・・?」

自信なさげに小さな声で自分の考えを主張しながら、顎に手を当て、眉間に皺を寄せ考えていると、ガチャンとイスを引く音がして、隣のイスに座ってくる。

「何だって?もう1回言って見ろィ。」

真剣な顔をして問題文をじっと見つめる総悟先生の横顔に内心ドキリと胸を高鳴らせながらも、平静を装いながら、その横顔へ問いかける。

「え、っと、、この式はスイッチを入れて放電したから立てるキルヒホッフの式?ですか・・?」

問題の式を指差して、その横顔をじっと見つめる。

ヤバ・・かっこいい・・・

自分も真剣だから、笑いはしないものの、そんなことを考えながら答えを待つ。
沈黙が出来ること7秒。

「違う。」
「へ?」

バッサリと、ものの見事に否定されて、ポカンとしちゃう私を置いて、総悟先生はその真剣な表情を変えず、言葉を続ける。

「この問題はここから磁場を考えなくちゃなんねェ。紙面裏から表に向かう向きの磁界ならこっち向きの起電力が発生するだろィ?」

ペンで図を指しながら、もう一方の手では起電力の向きを指すジェスチャーをしてくれている。そのおかげもあって、あぁそっか、と私もつい大きな声を出しながらも大納得。右手のグーを左手のパーにポンとぶつけて、目をキラキラさせる。

「そういうことかぁ!!」

私の疑問は綺麗サッパリ解決された。

「そんで、あとこれはこの@とAの式を連立した途中式だから、これから電流Iの値が出て、」
「うんうん。」
「F=IBlで力の値を出して、斜面方向のつりあいの式を立てて、mが出る。はい終了〜♪」
「うんうん・・・わー!そういうことかぁ・・!」

私の相槌をきちんと確認しながらも、最後まで説明を終えた総悟先生は終了の言葉と共にボールペンをポーンと机へ放り投げて、首をポキポキ鳴らしている。無意識だろうが、机の下では総悟先生の膝が私の太ももに当たりながらも、私の方は意識的に足を離さず、その横顔に向かい、心からのお礼を告げる。

「総悟先生、本当にありがとうございます!これで納得です!!やっぱり私、総悟先生の説明が一番わかりやすくて大好きです!」

きっと今の私は心臓バクバクいってて、きっとほっぺは真っ赤っ赤で、目はキラキラしてるんだろうけど、この言葉に嘘偽り下心なんてひとかけらもない。だって私は、本当に総悟先生の説明が世界でこの世で一番わかりやすくて、大好きで、気まぐれだけど、なんだかんだ親切で、優しくて、そんなかっこいい総悟先輩が、大大大好きなんだもん!

「まぁ、さんは俺がいないとダメだからねィ・・・」

不敵な笑みを浮かべながら、こっちを見る総悟先生と目が合う。

ヤバイ、どうしよう!鼻血出そう!
めちゃくちゃドキドキする!

私は、その赤茶色の瞳に捕らわれたように息も出来ず、今にもこぼれだしそうな心臓を押さえつけるように胸に2つの拳を当てる。
今、その瞳には私が映っているんですよね。
自分の心臓の脈打つ音がうるさい。
総悟先生にまで聞こえてるんじゃないかな。
顔がどんどん熱くなっていくのが自分でもわかる。

どうしよう、このまま死んでもいい!

「ま、さんは期待の星なんだからこれくらいは出来るようになってくれねェとなァ。」

このまま時が止まればいいのに。

切実にそう願ったところで、総悟先生は何秒だろうか交差していた目線を切って、ぷいと前を向いてしまった。
それをきっかけに、私も無意識の内に止めていた息をはぁと吐き出して、先生にはバレないように急いで肺に空気を入れる。私も正面に目を向けて背もたれに自分の背を預けた。

総悟先生の呼吸は全然乱れていない。表情も変わっていない。

ドキドキしたのは、やっぱり・・私だけだよね。

「期待の星なんて調子いいいこと言わないで下さいよ。本気にしちゃいますよ〜?」

冗談めかしく笑って言ってるけど、事実、本当に困っている。
そんなこと言われると、もう私止められんないよ。
まぁ、そんなこと先生は知ったこっちゃないかもしれないけど。

「いや、本気で。今から真面目にこんだけやってたら、来年確実にいいとこ狙えるぜィ。お前、成りたいものとか、行きたい大学とかねェの?」
「そ、それは・・」

真大です!

それを言えたらどんなにいいだろうか・・。
いや、言ったらそれはそれで話が盛り上がるのかな。
答えるか否か悩んでるところで

「まぁ、ありそうだけど、すぐに答えねェってことは考え中ってことにしといてあげまさァ。どうせ、自信がねェとかそんなとこだろィ。」
「は、はい・・。」

よくわかってらっしゃる、なんて思いながら、どもりながら返事を返した。

「そっ総悟先生は・・?なんで真大なんですか?学科とかってどうやって決めたんですか?」

沈黙になるのも、このまま話が完結して総悟先生が別の所へ行ってしまうのも嫌で、私はさりげなくこの間から気になっていた話題を振ってみた。

「それは・・」とかき消されそうな声を残し、総悟先生は下を向いてしまう。
やっぱり、マズい話題だったのだろうか。

「・・尊敬できる教授がいるんでィ。」

ゆっくりと真っすぐに前を向いて話し出す総悟先生の瞳は光を宿していた。

「近藤さんっていうんですがねィ、それは凄く優しい人なんでさァ。学術的にも凄く優れてて、実績を残してる人で、凄く尊敬してる。専門は、生物物理化学っつって。そうそう、初めて近藤さんに会ったのはオープンキャンパスでやってた講義のときだったねィ。『癌を薬で治せたら、そう思いませんか?!』って闘志を燃やしながら、身を乗り出して演説するその熱意に俺もジーンときちまって、講義終わる頃にはもう決めてたねィ。ここに入るって。・・・今はまだ夢物語の世界だ。無理かも知れねェ・・・。だけど、将来、癌が薬で治せたら凄ェ!って・・お前も思わねェかィ?!」

私が相槌を打つ暇もなく、総悟先生はそれはもう正に急に電池を入れて動き出したオモチャみたいに休みなく話し出した。大好きなお父さんの自慢をする純粋無垢な子供みたいで、それこそ自分が身を乗り出して、目をキラキラさせてそれを語る総悟先生を私は素直に可愛いなって思った。自然に笑みがこぼれて、そうですねって言ったら、「だろィ?」って嬉しそうに満足げな顔で笑う。お互いに笑い合って、夢を追いかける総悟先生を見ていつもよりももっとかっこよく、かわいらしく、愛おしく見えた。でも、それと同時に、

「でも、やっぱり総悟先生も凄いです。そういう話を聞いてみんながみんな『凄い!』って感動して熱くなれるわけじゃないと思うんです。人それぞれ興味のそそられるものって違うし、すぐに物事に熱くなれるか、自分の好きなもの、嫌いなものをちゃんと自分で自分の感情を理解できるのか。自分の夢中になれるものが何だろうって、わからなくて立ち止まったり、探すことさえ諦めてしまう人だっているのに。それなのに、人の命にかかわる話で熱くなれて、ピーンときちゃう総悟先生はやっぱりそういうものに才能があって、それに自分で気付けてて、人を助けようって思える優しい人なんだと思います。そういうところ、凄く尊敬するなぁ。」

私にとって眩しくもあった。
私は自分のやりたい勉強、将来成し遂げたいこと、そんなのわかんない。ピンともこない。凄いな、素敵だな。そう思えるけど、『自分もそれを成し遂げる一員になりたい』。『この人の元で、研究をしたい』。そういうことまでは、私は結び付けられない。そういう意味で、『癌の特効薬』、『生物物理化学』、『近藤教授』という大切なもの、大切な人を見つけられている総悟先生が眩しくもあった。自分との距離を感じた。遠くなった気もした。自分との距離を痛感させられたような。そんな感じ。
ちょっと悲しいけど。悲しい顔を見せたくはなくて、頑張って笑顔を見せて喋ったら、総悟先生は一瞬目を見開いてから、優しい顔で「そんなことねェよ・・。」って呟いた。ちょっと照れくさそうだけど、私のどこか寂しそうなところを見破ったのか、お兄ちゃんみたいな優しい今まで見たことのないその顔にドキドキするっていうよりも、胸が、心臓が縛られるみたいにキュンとした。

「俺はただ・・・亡くした人の命を救う手段を自分で知りたいだけでィ。そんな大そうな人間じゃねェよ・・。」

下を向いて消え入りそうな総悟先生のその時の呟きは、私の耳には届かなかった。








・・・・・next?