V-12



向かった先は居酒屋だった。
席に着いて向かい側に座ると、総悟先生は店員に何かを注文すると、その店員は今度は私に注文を聞いてきたので、とりあえず温かいお茶を頼んだ。


向かい側の総悟先生は席に着いてから全く変化なく机に目を向けたままで、付いて来てる私には気付いているだろうが、何も言わない。

私も何も言えずにいた。

何を言えばいいのか、何を言っていいのか、わからなかった。

それ以上に自分でも何故ここに来ているのか。

何故ついてきたのか。

追ってどうするつもりだったのか。


何も決めず、付いて来た。




空気を読まない店員が私たちの目の前にジョッキと湯飲みを置いていくと、ポカンと少し開けられた向かいのその唇から呟きがもれた。

「あんたも大概、バカでさァ。」

『バカ』。その言葉に不思議と苛立ちも悲しみもこみ上げてこなかった。何も言わない私に総悟先生は言葉を続ける。

「何を思ってついてきたんだよ、あんたは。」

引き止めたのは先生だよ。

そう言いたいのを言えずに飲みこんだ。

「まさか俺があんたに惚れてるとでも思ったのかィ?それなら勘違いもいいとこだぜィ。」

そんなことは思ってないよ。

少し前まではわからなかった。

けど今はすきになってもらう為にすきになったんじゃなくて、ただ総悟先生がすきなんだよ。

総悟先生がすき。

この気持ちを持ち続けるのに、今は、恐れも不安も迷いも何もない。

「だらしなくて、バカな奴だってわかっただろィ?最低だと思ってるんでしょう?旦那からだって色々聞いてるんだろィ?」

震えるその声に私は総悟先生から目を離せなかった。
ただ何も言わず、掛ける言葉を探して、発しようとするもあれも違うこれも違うと言葉の出ない口をパクパクさせながら。

「俺なんか放っておいて帰れって言ってるんでィ!消えろ!!」

ようやく顔を上げた総悟先生は突然の大きな怒声と共に目には力一杯の威嚇を宿していたけど、自分の中で渦巻く不安と自分を追いつめることによる不安によって疲れきっている様子も見て取れた。

そんな総悟先生に私もようやく重い口を開いた。

「わかりました、帰ります。でもね、あんたがいたから、私は変われたんだよ。」

総悟先生に出逢って、勉強を頑張ろうって思えるようになった。初めて勉強の楽しさを知った。勉強を好きになれた。塾でいろんな人と知り合えた。
そして、こんなにも人をすきになれた。
すきっていう感情を知ったんだ。

「先生のことは、嫌いになんてなれなかった。・・・ずっとすきでした。けど、それも今日で終わり。今までありがとう。」

自分の頬がぬれていくのを感じたけど、不思議と笑顔でいられた。

ずっとすきでした?

いや、本当はずっとすきですの間違いなんだ。

けどね、その寂しさを宿す威嚇の目を私じゃ支えきれないなら、本当は寂しいのかもしれないけど、私の愛はどんなに本当でもそれに対して本当の愛で答えられないまま傷つけ、傷ついていくのが総悟先生なら、それも今日で終わり。完全に消える。

だって、総悟先生がすきだから。

『最低だと思ってるんでしょう』?

知ってたよ、総悟先生が女の子に誰ふり構わず、女の子がすきになっちゃうような調子のいいこと言って、すきにさせて、散々振り回して、女関係にだらしないどうしようもない寂しん坊だって。

本当は寂しいからさっきも腕を掴んだって。

誰でもいいからそばにいて欲しかったんだって。

どんなにだらしなくても、寂しくても、本当に寂しいときに寂しいって言えない。

そんな最低な男だってわかってても。

私はね、総悟先生のことは嫌いになれないの。

どんなことを言われても、どんなことをされても、どんなに最低でも、私はすきだって。

わかってるの。

今はもう。

今ならわかる。

私はそんな総悟先生がすきだって。



涙は止まらなかったけど、自然と走る私の顔には笑顔が浮かべられていた。

そんな私を止める腕。

振り返ると、そこに立っている息を切らせた総悟先生が、近付いてくる。


唇が重なった。


走ってきたであろう短い呼吸の総悟先生が人目も気にせず何度も口付けてくる。


もう、未遂じゃない。


1週間前の今日、拒んだはずのその唇を今回は愛しさだけを持って受け止める。



互いに何も言わずに、そのまま私達は手を繋いでホテルに入った。

部屋に入ると啄むように続く口付けに私はもう何も考えられなくなっていた。

ただ、私の体を触るその手を振り払おうなんて気持ちは欠片も起きなかった。

何も言わず、すがるように不安な色を宿すその瞳が愛おしくて、離せなくて、自分に覆いかぶさる総悟先生をただ受け入れた。

「・・んっ、あっ・・」

「・・はっ・・」

自分の中をかき乱す総悟先生に、自分はすがっていいのだろうか。

手を伸ばせないでいる自分の腕を総悟先生が自らの肩に回してくる。

それがただ嬉しくて、今日初めてその名前を呼んだ気がした。

「・・そう、ご・・」

っ・・・」

初めて名前を呼んでもらえた。

脳が認識するよりも先に涙が溢れた。

自分の腕の中にある彼の頭を引き寄せる。

あとはもうただ名前を呼んで、ただ総悟先生だけを求めた。


独りにしないで、自分を求めて。必要として。


そう主張する瞳に答えようと思った。

その瞳が愛おしかった。








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