V-10
翌日、HRを終えた私は少し戸惑いながらも足を進めていた。
向かう先は、もちろん塾だった。
昨日までは迷いの方が大きかった。
今日塾に来ることを。
昨日あれから銀ちゃんからの連絡は何もなかった。
それにまたちょっと腹が立った。
けど、今日は来るにはもっと迷う理由があった。
今日は総悟先生の出勤日だ。
会ったらなんて言えばいいのか。
どんな顔をすればいいのか。
何を言われるのか。
そもそも覚えているのか。
銀ちゃんの言葉がまだ離れない。
『やめておけって』。
確かに私は、まだ総悟先生のことがすきなのかもしれない。
だから何?
あそこまでされてもう欠片の希望も打ち砕かれた。
そんなのとっくのとうに粉々だ。
なのにそんな私に諦めろだなんて。
わかってるよ。
だから、このまま逃げるのは癪だった。
せめて、謝ってきた総悟先生に気にしてないから大丈夫ですなんて笑顔で許してあげられるくらいの度胸見せてやるわ。
迷いどころか戦いを控えた武者のように私は静かに気合高めながら、ずんずんとそこへ入っていった。
自習室に入る手前、「ちゃん、」と呼び止められる。その声に私は振り返る前からむっと口をへの字に曲げる。そしてそれから振り返る。
「うわ、怒ってるし・・・昨日はすいませんでした!」
階段を上がり終えて、同じ高さの場所に立った銀ちゃんは体を直角に曲げて謝罪した。
そんなの先にするなんてずるい。
私だって別に銀ちゃんに完全に怒ってて、「ごめんなさい」って謝られないと許したくないわけじゃない。
心配してくれてるっていうのもわかってる。
ただ、自分の中で整理出来ないだけで。
「・・別に銀ちゃんに怒ってないし・・・」
銀ちゃんが背中を折り曲げたままで見えるはずもないけれど、そっぽを向く。
目を合わせたくない。
銀ちゃんが視界の端で体を起こした。
「じゃあこっち向いてくれたっていいじゃん。」
横目にそっちを見ると、困ったような顔をしている銀ちゃんと目が合った。
すると、目が合った途端、銀ちゃんはというとはぁとため息を1つこぼす。
「まったく・・・ちゃんもガキなんだから・・・」
「だから別にわたしは!!!」
「あーもうやめやめ!!そんな顔しないの!」
誰がさせてんだよ!
今日の銀ちゃんはやけに性格が悪い。いつもは私が本当に気にすることや嫌がることは言わないのに。それどころか火に油を注ぐようなことばかり言ってくる。ギリギリと両手で拳を握り締め、怒りと悔しさに震えていると、また1つため息をついた後、銀ちゃんはゆっくりと話し出す。
「両頬膨らまして。」
疑問を浮かべながらも、眉間に皺を寄せたまま言われた通りに頬を膨らませると、目の前の銀ちゃんがすっと両手をこちらへ向かって持ち上げると、私の空気の入った頬を潰す。
痛くはないけれど、少し勢いのあるその行動に油断をしていた私は反応しきれずに口からはブブゥという音と共に空気が抜ける。
意味がわからん。全く。
「本当にそんな顔させるつもりじゃなかったの。俺の言いたいことも少しはわかってんだろ?」
子供に言い聞かせるような声音に少し心が震えながら、目は銀ちゃんの胸元に移す。
だって顔なんて見れないもん。
本当はわかってる。
銀ちゃんの言いたいことも。
心配してくれてるってことも。
私のことを思ってくれているってことも。
「・・・なんでわかってるってわかってるの。」
けどやっぱりどうしても納得できなくて、いつもより低い声で苦し紛れにそう呟いた。
両頬に添えられた手がすっと引いていく。
「だって本当に怒ってたらちゃん来てくれないだろうし、ちゃんは俺のこと本気で怒ったり出来ないでしょ。」
言葉と共に頭には手が置かれる。
普段はあまり耳にしない銀ちゃんのその私を見透かしたような言葉がやっぱり少し気に入らなかったけど、けどそれとは反対に私のことをちゃんと見ていてくれているからこその言葉が本当は心の底で少し嬉しかったりして、しかめっ面が少し緩んでしまいそう。
「そんなとっておき優しくて、勉強頑張っちゃってるちゃんにプレゼント。」
手を引っ張られて天井向きに向けられた自分の手の平には1本のキャンディーが置かれた。
キャンディーから銀ちゃんに目を戻すと、また優しいけど私を心配してる目で話を再開した。
「あいつは今日来ないよ。まぁせいぜい来たら好きなだけぶん殴って4分の3殺しにして、そしたら・・・・そしたらまぁ・・・許してやれや。」
そう言ってまた頭にポンと手が置かれて私は思わず目を伏せる。
よかった。
そう思った自分と。
寂しい。
そう思った2人の自分が確実に同時に存在した。ただ、どっちの気持ちの方が大きかったかはわからない。
頭に乗った手がゆっくりと犬を撫でるように触ると、「それじゃあな。」と言って銀ちゃんは教員室へ戻っていった。
・・・・・next?
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