V-04



最初はすごく居心地の悪い雰囲気で、一刻も早く帰りたい、この場から消えたいと思っていたものの、銀ちゃんが場の空気を和ませる話題を振ってくれたこともあって、いくらかは私の緊張も緩和された。
2人はお酒も進んで、いつの間にか日本酒をどんどんと上げて、頬を少し染めていく2人に気の抜けた私も気付かず、3人でケラケラと笑っていた。銀ちゃんが「トイレ〜。」と言いながらフラフラと席を立つと、笑い声が少しづつ静まっていく。
部屋には総悟先生と2人きりになった。

さっきまでは笑い合って、何の意識もしていなかったけれど、やっぱり2人だけになると緊張する。意識すればするほど、身が強張ってきて、一生懸命話題を探す。しかし、振るべき話題もタイミングもわからない内にチラと隣の総悟先生を見やるとさっきまでの砕けた笑顔はどこへやら。つんとした真顔でおちょこの日本酒に映る自分の顔を見つめた後、それを一気に飲み込んだ。私の視線に気付いたのか、数秒の間互いに何も言わず見つめ合ったものの、総悟先生が目線を切ると、急に現実に引き戻された気がした。

私のことがすきなわけでもないし、私と話してもつまらないんだろうな。

そう思うと、お酒が回って温まったはずの胸の奥に氷が触れたように胸が苦しくなる。顔を上げられなくなって、目の前の私のスカートの黒が私の心までも侵食していく。こんなままじゃ、もっと嫌われてしまうのに。すきになってもらえる機会を自ら壊そうとしている。
落ち込んだものの、はっと我に返り、キュッとスカートを握り締める。

『嫌われる』?

『好きになってもらう』?

私は今そう心の中で呟いた。自分でも気付かぬほど自然に。素直に。
2人でいて、笑顔でいてもらえないことがこんなにも悲しい。
私の隣にいるときは笑っていて欲しい。

そんなことを素直に思ってしまった私はもしかして、まだ・・総悟先生のこと・・・

「俺さァ〜」

自分の気持ちを確認する手前、総悟先生が2人きりになって初めて口を開く。こちらの視線に気付いていないのか、それともわざとなのか、さっきのようにおちょこの水面に浮かんでいるであろう自分を見つめながら、総悟先生は話を始めた。

ともとも付き合ってたんだけどさ」

いきなり何を始めるかと思いきや、突如として予想をしない話題が始まろうとしている。私は何も出来ず、一瞬にして目を見開いて、自分の心臓がバクンバクンいって血がドロドロと体中を駆け巡っていくのをやけにリアルに感じた。
が、返答のない会話は私の希望とは裏腹に進む。

はさァ、本気じゃなかったんでィ。それ言ったら旦那がちゃんとしろだの何だの言うからよォ、と別れたっつーのにさ、はいきなり別れて欲しいとか言ってくるし。まーじ、意味わかんねェっつーの。バレてたんですかねィ、はぁ・・・」

酔いが回っているのか文節を小さく切るごとに伸ばされる音と、ゆっくりで、でも止まらないその話に私の思考は停止する。

聞きたくない。

やめて。
聞きたくない。

知ってる。

けど、そんなこと、直接総悟先生の口からなんて聞きたくない。
やめて。

目の前のスカートに丸いシミが出来ていってるのに、私の頬がぬれていってるのに、視線がどんどん歪んでいってるのに、私は気付いてるのに、私は耳を塞ぐことも、涙を拭うことを出来ない。

「俺ってさァ、好きって言われた奴にはぜってーフラれねェんだけどさァ、付き合ってって俺が言った奴には必ずフラれるんだよなァ・・はぁ、俺って不毛な恋愛しか出来ないのかなァ。なァさん、俺ってそんなダメな男なのかねィ?」

膝に置かれていた腕をグイと突然引き寄せられて、顔を上げるも歪んだ視線の先で、総悟先生の顔が近付いてくる。

ヤバイ、キスされる。

完全にショートしていたはずの脳みその思考回路がそれだけはきちんと急に伝達しだすと、私の体は抵抗を始める。

「嫌っ!ちょっと、やめ」

腕を振り払おうとするも、今の私には目の前の彼を完全に突き飛ばす体力なんて無くて、ただ自分の想像もしていなかったような最悪の事態が起きている現実から逃げようとするも、どうにも出来ず、目からはどんどん涙が溢れていくのを感じた。

「別にいいじゃねェかィ。俺のこと好きなんだろィ?」

抵抗する私に向けられた言葉はいつもの総悟先生が言いそうな自分に自信満々の言葉だったけど、いつもと違うのはそれがかっこつけるための言葉じゃなくて、惚れた自分をどうにでもなる都合のいい奴隷を見るような、けれど卑下するだけじゃなく、こちらを見ては逃げないよう捕らえた瞳に私は目を見張る。

もう抵抗は出来なかった。

涙が止まらないまま、近付いてくる総悟先生に私は現実から目を背けるように目を瞑った。


しかし、次の瞬間、襖が開けられるスッとした音がした後、自分の腕を掴んでいた腕が開放される。目を開けた刹那、ドガァという激音と共に、目の前にいたはずの総悟先生が飛ばされていった。

銀ちゃんが総悟先生を殴った。

その一瞬の出来事を認識するまでに、私の脳は数秒の時間を要した。しゃくりあげることも出来なかった涙が、再び頬につうっと伝いだして、でも、目を瞑って大泣きすることも出来ずに、ただ、ひっくひっくと私がしゃくりあげ、鼻をすする音しか流れない時間が続いた。
何も出来ずに座ったままの私の頭にポンポンと手を乗せ叩いてから、頭を撫でた銀ちゃんは私の前に座ると、

「ごめんな、ちょっと待ってろ。とりあえず、タクシー乗せて帰してきちゃうから。」

そう言って、私が頷くのも確認せず、銀ちゃんは立ち上がって、壁によっかかったように突き飛ばされたままの総悟先生を背負い、襖を閉めてその場を後にした。

入り口の戸が一回開いて、また閉まる音がして、しばらくすると、ティーカップを持った桂さんが現れて、私の前にそれを置く。

「ゆず茶だ。体が温まるだろう。もう少しで帰ってくるから少し待っててくれとのことだ。」

失礼したなと言葉が残され、襖の閉まる音がすると、私はようやく頬に流れた涙を拭いながら、桂さんが出してくれたゆず茶を喉に通した。

数分前の出来事が、蘇る。
つい1時間前はこんなことが起こるなんて予想もしていなかったのに。
そう思うと、また目からこみ上げて溢れていく雫を一生懸命拭うも、温かくて甘いゆず茶にも安心を得られない私は、コートを持って立ち上がる。

入り口に立っている桂さんが呼び止めてくるが、大丈夫ですと笑顔で返す私に桂さんも引き下がらず。

「しかし、銀時が帰ってくるまでいた方が」
「いいんです。1人で帰れます。ご馳走様でした。」

今の私にできる精一杯の笑顔でお礼を言うと、「待て!」と言う桂さんの言葉も無視して、私は店を飛び出した。通り過ぎていく人々も、クラクションをうるさく鳴らす車たちも、ぶつかっては舌打ちしてくる人々も、私は目に入るけど、そんなことはどうでもよくて、ただただ赤信号に引っかからないように駅まで全力疾走した、
涙が乾いた頬が夜風に凍みて、ヒリヒリしたけど、胸の方がずっと痛かった。

もう目の前にはいないはずなのに、風に乗って流れていく涙を私は止められなかった。

駅からの道も、電車の中も涙を我慢した私は、ただいまとも言わず入った家の自分の部屋で私は枕に顔をうずめて、今度こそ大声で泣いた。








・・・・・next?