V-03



前にも来た桂さんのお店の前まで来ると、「レディーファースト。」と言って一番手で通された私は何も返事できないまま、渋々とその階段を下りると、以前と同じように桂さんがお出迎えしてくれて、奥の部屋に通してくれた。
何も考えず席に着いて、このわけのわからない状況にひとまずため息を1つ吐き出したはいいものの、向かいに座り込んだ銀ちゃんだけならいつもと変わらない光景なのに、何故か横に座ってきた総悟先生がそのいつもの光景をぶち壊し、緊張が走り背筋が伸びる。

どうしよう。
私は今日一日この状況を乗り越えられるんだろうか。

「カシオレでいい?」なんて聞いてくる銀ちゃんの声も私に向けられているとわかってはいるものの、未だに飲み込めないこの状況に私はただ無駄に何度も頷くことしか出来なかった。

一杯目のお酒が運ばれてくるまで、私は目に映る机の木目をじっと見つめることが私が出来る唯一の行為で、横と向かいで交わされる声も、自分には関係のない普通の居酒屋で聞こえてくるどこか遠くの喧騒のように感じた。

私はここにいるけど、私ここにいない。

この木目が「人の横顔に見えない?」なんていってきた銀ちゃんの声が不意に脳でこだましたけど、私は表情も変えず、ただその木目を見つめていた。

ファーストオーダーがきて、乾杯をすると、いつもは少しツンとくるお酒の匂いも何の味気も無い液体に思えた。私がグラスを置くも、一口でしばらくグイグイと飲み干す2人をようやく交互に見ることをしながら、どんな表情でここにいればいいのかもわからない私は今度はキョロキョロと忙しく目を泳がせる。2人が「ふうー」とようやく一口目を終わらせると同時に始まる沈黙に私の心の中で浮かぶのは5文字の言葉。


『 ど う し よ う 』 。


どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。どうしよう。いや、まじで。どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。

私は一体どうすればいいの?

この沈黙をどうすれば?

私が口火を切るべきなのか?

しかし何を話すべきなのか?

どうしよう。

この沈黙が苦しい。息が詰まりそう。

どうしよう。どうしよう。どうしよう。

ねぇ、どうすればいいの?


ついにはっと顔を上げると必然的に目が合うのは向かいの銀ちゃんで、私はすぐにどうしようと怯えたような表情を隠すように唇をかみながら、目線を切って泳がせる。
誰も口火を切らない個室にようやく転機が訪れたのはその数秒後だった。
私が誰もいない右側の壁に掛けられた掛け軸に目を泳がせていると、ゴトンと机の上で物音がしたので、すぐにそっちを向くとメニューが広げられいた。

「おい、何か食べ物決めてくれ。俺、パフェ食いたい。あとはちゃんが決めて。」
「俺はですねィ・・・」
「お前に選ぶ権利はない!」

ビシッと礼儀も気にせず総悟先生に人差し指を向ける銀ちゃんに、それに反抗するように机をバンとたたいた総悟先生に、普段ならクスリと笑みをこぼすはずのこの状況も、ガチガチに固まった今の私にはなんの緊張を解く材料にもならない。むしろ、引き攣った笑みを浮かべるだけでも精一杯で、苦笑であっても頬の筋肉を動かすことが出来ただけでも私にとっては大きな一歩だった。

さんは何が食べたいんですかィ?」

えっと、と考えて口に出そうとするも、予想に外れて銀ちゃんが私を阻むように口を開く。

「それがさー、鯵のひらきとか焼き鳥とかちゃん結構おっさんくさいものを頼むから、俺も最初結構ビックリしちゃって。唯一ちゃんらしいなと思ったのは、エビとアボカドのサラダくらいだね。アボカドとかはなんとなくわかる。だってなんかアボカド食ってそうだもの。イタリアンドレッスィングと一緒に家の食卓に出ていそうだもの。」
「ぷっ。おやじくさいって言っちまった!けど確かに意外だねィ。箸よりフォークとかの方が使ってそうなイメージっつーのはわかる気がしまさァ、さんは。」
「だろ?俺内心ビックリしたんだけどつっこめなくて。しかも焼き鳥っつっても頼むの鳥皮だよ?腿じゃなくて鳥皮って!おっさんか!」
「ぶははっ、なんか笑えまさァ。皮とか言ってホントおっさんかよ。」

バンと隣から肩を叩かれて、私の心臓は飛び上がる。
どきまぎしている私の心も知らず、私のことで2人は大盛り上がり。机をバンバン叩くわ、腹を抱えて笑うわ、もう酒が回ってるのか疑いたくなる2人の横で当の本人である私はようやく恥ずかしくなってきて、肩をちぢこませながら「別にいいじゃん・・。」なんて呟くと、「いや、俺やっぱり今日鳥皮食うわ。」「じゃあ俺も。」と2人が言い出してこっちを見つめてくるもんだから、「じゃあ私も・・」と言うやいなや、2人綺麗に揃って「どーぞどーぞ」なんて言い出すから、打ち合わせしてたのかコイツら・・!と恨めしそうに見るも、そんな視線を痛くも痒くもなさそうに2人は店員を読んだりメニューに目を移していた。


こうして私の晩の宴は始まったのである。








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