T-02
久しぶりの塾に、総悟先生の姿は無かった。といっても、チューター出勤表を把握済みの私は、もちろん知ってのことなんだけど。いつもはチューターが自習室を周りだす4時からきっかりちゃっかり自習室のチューターが生徒からの呼び出しが何も無いときに立つ、所謂溜まり場に一番近い、最後列の端っこの席をキープするんだけど。今日は総悟先生がいないから、まぁいっか、なんて。
ただいまの時間は5時半。
総悟先生のいない日はやっぱりやる気が出ない。
けだるそうに座った私は、英語の参考書を取り出した。総悟先生に聞かなくても、進められる英語の参考書を。
机をペンでトントンと叩かれる音がして、パッと顔を上げると「よっ。」と声を掛けてきたのは土方先生。
そうだ、土方先生に単語チェックでもしてもらおう。
こんばんわー、と挨拶を返して、隣の席の荷物をおろすと、土方先生は言わずともそこへ座った。
「英語の方言えばいいんだよな?」
「はい。お願いします!」
そう言って始まる何度目かの土方先生の単語チェックに淡々と答える時間が流れる。
いかにも英語出来ますって感じの土方先生の発音はどうも気に掛かって仕方ない。いや、こういう発音をしないと海の向こうの人には通じないっていうのもわかんだけど。
『俺、あんま発音よくねェからここに書きながら出題していくから。』
『いや、面倒くさいですし、大丈夫ですよ書かなくても!』
『いやァ・・あの俺たまに発音違ェみたいだから書くの。言わせんじゃねェ。』
『・・・ぷっ・・・』
『5つ間違ったら覚悟しとくことだねィ。』
いつだろうか、初めて総悟先生に単語チェックをお願いした時のやりとりが思い起こされる。総悟先生の声が脳内にこだまする。総悟先生の顔が瞼の裏に思い浮かぶ。
あぁ、会いたい。
胸がギュっと締め付けられたように苦しくなった。
「monopoly」
「どく・・・せん・・・」
私の頭の中は総悟先生に独占されています。
次々と出される英単語にスムーズに答えていって流れる時間。もう、20題はいっただろうか。
「もういいんじゃねェの。」
単語帳が手元に返される。どうも、と一礼しながら、それを受け取った。
「お前、この塾の中でもなかなか頑張ってる方だと思うけど、どこ目指してんだ?」
受け取ると同時に投げかけられた質問に腕がビクッとなる。
正直なところ、決まっていない。が、実は私は土方先生と総悟先生が通う真選大学に入りたいな、なんてぼんやりとした希望は持っていった。けど、それを言ったら私の想い人がバレちゃいそうだし、今の成績だととても受かる成績ではないので、言うのは恥ずかしい。
私は、数秒の間土方先生から目線を外し、逆に質問してそれを逃れることにした。
「土方先生はどうして真大なんですか?」
間を空けず返ってくる答えは。
「俺、願書を糖大と間違えて出しちまったんだ。」
「へ?」
あまりにも自分の想像を大きく逸脱したもので、目が点になるものの、土方先生の目を見るに、どうも嘘ではないらしい。
「え、でも名前も似ても似つかないじゃん。」
「そうんだんだけどよ、願書の色と形が糖大と真大ってめっちゃ似てんだよ。それで、おふくろが間違って買ってきてた真大の願書にばっちり書いたらしくって。俺が気付いた時には既に遅し。ポストに投函済みでしたーってこと。」
へぇー、と気の入っていない声を返しながら、土方先生にもそんなこともあるんだなと変に同情しつつ、なんて言葉を掛ければいいのか、励ますべきなのか、笑うべきなのか。わからない私の口あんぐり。
「いやァ、最初はグレたね。何が好きでこんな大学行かなきゃならねェんだって。まぁけど、近藤さんっていう教授に出会えたっつーのもあるし、嫌なことばかりじゃねェけどな。」
得意げに話す土方先生の横顔に私も少し嬉しくなりながら、土方先生が「けど、」と続ける。
『けど・・・?』心の中で土方先生の言葉を催促しつつ、いつものように真っすぐ前を見つめる土方先生の横顔をじっと見つめ、続きを促すように、穴があくように見つめる。
「総悟まで真大っつーのは、ちょっと意外っちゃ意外だったな。」
今度は目の前の私の参考書を手に取って、意味もなくページをパラパラめくりだす土方先生を見つめていると、ふと顔を上げた土方先生と目が合う。合ったその瞬間、彼はふと笑って、
「まぁ、お前なら大丈夫だと思うけど、ちゃんと何を専攻して何に成りたいのか考えて大学と学部選ぶべきだな。」
そう言って、手を頭にポンと置かれて、不覚にも体温が上昇してしまう。
やばい、今の私顔赤い。
そんな顔を見られまいと全力で目を逸らす。苦し紛れに別の話題を探した。
「じゃあ学科は?学科はどうやって決めたんですか?」
「そりゃ、理三が受けられないとなりゃ、これからの時代はバイオケミストリーだと思って今の学科に決めただけだよ。けど、実際この専門で食ってくのはかなり難しいと思うぜ。だから、海外にでも行って色んなキャリア積んで、どっかの会社入れればいいかななんて最近俺は思ってる。」
やっぱり糖大でも理三狙いだったんだ、なんて日本で一番難しい大学の一番入るのが困難と言われている学部を恐れも感じずに口にするあたり、土方先生はだいぶ頭がいいんだと思う。
「ふーん。じゃあ、総悟先生は?」
「そういうことは本人に聞くもんだ。俺が話すのは野暮ってもんだろ。」
「・・・そっかぁ。」
「そんじゃな。頑張れよ。」と言葉を残し、土方先生は行ってしまった。
真大でグレるって堂々と言っちゃうあたり、真大が死ぬほど行きたくてそれでも行けなかった人に刺し殺されそうなんだけど、とかも思ったけど、海外とか視野に入れてるあたりとか、受験校を糖大から真大に変えてすんなり受かっちゃうあたりとか、要領いいし、頭いいし、美形だし、真面目そうだし、そりゃモテるよなぁ・・・。
土方先生の背中にぼぉっと尊敬の眼差しを送った。
・・・・・next?
|