V-17



塾を出て、何も言わず去っていくその背中に私は走る。叫ぶ。

「待ってよ!!!!」

最後まで予想してたみたいに驚きを全く見せずこちらを振り返るその顔が憎い。

「ずるいよ!可愛いとか言いながら将来はイイ女になるとかどんな男と付き合うんだろうとか子供扱いしておいて、今度はいきなりすきだなんて意味わかんない!大体そんなこと言っておいてなんでこんな大事なこと言わないのよ!いつでも見透かすように私に話し掛けてきて、そばにいたくせに銀ちゃんは私に何も教えないでいなくなるつもりなの?!大体私の気持ち何も聞いてないじゃん!!確かに銀ちゃんは今までいつだって私の気持ちを一番に理解してくれてたけど、確かに私は銀ちゃんに何もしてあげられなかったし、今も何にも出来ないけど・・ありがとうぐらい言わせてくれたっていいじゃない!!!!!」

自分でもビックリするくらい大きな声で息も呑まずに一息でたくさんの言葉が口から転げ出る。

横断歩道の真ん中なのに、人目なんて全く気にならなかった。

目から次々とこぼれてくるものなんて全く気にならなかった。

銀ちゃんが近付いてくる。

頭に乗る手。
あぁ、銀ちゃんの手だ。

この手に何度助けられたんだろう。

この手に何度支えられてきたんだろう。

視界が歪んで、喉がしゃくりあげて、今度こそ上手く喋れない。

「私、銀ちゃんがいたから塾にたくさん来るようになったよ。銀ちゃんがいたから総悟先生とも普通に話せるようになったよ。知ってる人も増えたよ。楽しいことも増えたよ。たくさん笑ったよ。大切なものたくさん貰ったよ。銀ちゃんが来るまでね、ずっと苦しかったの。誰も聞いてくれる人なんていなかったの。けど、私に銀ちゃんはこんなにたくさんいろんなものくれた。私だって、銀ちゃんが大すきなんだよ。大事なんだよっ・・・!」

撫でる手が止まったかと思うと、突然抱きしめられた。

苦しいくらい強い力なのに、苦しいとかそれ以上に今更回りの目が気になって、心臓が無駄にドキドキした。

「ちょっと、銀ちゃん・・・」

「・・・わざわざフラれるの待つほど銀さんも強くないの。最後くらい追ってきてよ。このドS女。」

ちょっと照れるようにふてくれさたその顔に私のぬれた頬が緩む。

私もその体に腕を回す。

顔のすぐ横には銀ちゃんの顔がある。

耳元には銀ちゃんの息が掛かる。

銀ちゃんといるとドキドキもするけど、やっぱりそれ以上に安心出来た。

抱きしめられたのは初めてのはずなのに、この安心感は何度も味わったことのあるものだった。

「・・・・行くんだよな?」

銀ちゃんの低い声が鼓膜を震わす。

私はそれに、ただ腕の中でコクリと頷いた。


抱擁を解かれると、銀ちゃんが口元に手を当てる。

「っつーことだからあとは頼むよこのクソ教師ー!」

まさか。

そう思ったときには銀ちゃんの視線の先の路地裏から予想をした彼が出てくる。

「誰がクソ教師でィ。」

口を尖らせて出てくると、私たちの元へと歩いてくる。

その時間がスローモーションのように流れる。

3ヶ月の出来事が一気にフラッシュバックする。

たくさん泣いた。

たくさん笑った。

たくさん怒った。

たくさんの時間が蘇る。


「全く、旦那は本当に最後の最後までいいとこ取りでさァ。」

「うるせェ。今すぐモノにしねェと本当に無理やりにでも貰ってくぞ。」

「わかってらァ!」

いつか見たような口喧嘩を横で行った彼らは、それをおきに私に体を向け直す。

正面の総悟先生と視線が重なった。

「好きです。もうあんたを泣かせたりなんてしねェ。誰にも渡さねェ。誓ってやるぜィ?俺が今まで一番あんたを、を、幸せに、笑顔にしてやりまさァ。」

両手を繋がれて、誓われるその言葉は結婚式の誓いの言葉よりも少しばかり自信が篭りすぎだけれど、それくらいがきっと彼にはちょうどいい。

「付き合ってくれますかィ?」

「・・・はい。」

想いを確かめるような口付けは、自信満々なその表情や言葉よりはどこか頼りなくて、脆そうで、すがるようなものだけれど、それ以上に愛おしくて、胸が熱くて、離したくない。

素直にそう思った。



「・・・ったく、見せつけてくれるよねェ・・・」

唇が離れて初めて恨むようにこちらを睨む銀ちゃんの存在を思い出す。

今更ながら、急に恥ずかしくなって、頬が熱くなるのを感じた。

「当たり前でさァ。こいつは渡さねェし、は俺にベタ惚れですから、旦那に出る幕はねェですぜィ。」

急に後ろから抱きしめられて、私の顔は更に熱くなる。
全身から湯気が出そうだ。

「ハイハイ。邪魔者は退散しますよォっと・・・」

そう言って、今度こそ行ってしまいそうなその背中に向かって叫ぶ。

「銀ちゃん!・・・たまには連絡してもいい・・・?」

「ちょっ、おめー!」そんな声が耳のすぐ後ろで聞こえるけど、今ばかりは無視。

そして、振り返ったその顔には初めて見る彼の驚きが垣間見えた後、笑顔に変わる。

「当たりめェだ!ちゃんはあと2人付き合った後に、俺と付き合う運命だから!それまでせいぜいもっとイイ女になっておきなさい!」
「何言ってるんでィ!離すわけねェだろィ!」
「当ったりめェだろ!!・・・離すんじゃねェぞ。」

彼の顔にはいつもの死んだ魚のような目ではなく、今までどんなときよりも真剣だった。

その顔に、それに答えるように総悟先生が覚悟を決めるようすっと息を吸い込んだ。

「・・・離さねェよ、絶対にな・・・」

そう言って、私を包む腕の力が強められた。

ちょっと痛かったけれど、逆にそれが嬉しかった。

ふっと銀ちゃんが笑うと、それ釣られて総悟先生が笑って、最後にその2人のやりとりに私が笑うと、何も言わず、彼は私達に背を向けた。

夕日に向かって歩いていく背中を私達は手を繋いで、喧騒と人ごみの中に消えてゆくまで見送った。

そして、今度は私達が夕日を背にお互いの心を重ねるように、唇を重ねた。

何度も、何度も。


お互いを求めるように―――








・・・・・fin.